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【旧藤屋旅館オープンスタジオ】文・大沢理沙

皆さん、こんにちは。 大沢理沙です。 薮原宿の旧藤屋旅館にてオープンスタジオを2週に渡り開催しました。 地域の方々を始め、ラジオ・新聞で情報を得た多くの方が村外から足を運んでくださり、大変、嬉しく思います。 ありがとうございました。 【旧藤屋旅館】は、1990年代まで旅館を営んでいた建物で、汽車に乗り薮原スキー場に来たお客さんを、寒さが体を突き刺さす中、主人と息子が提灯片手に出迎えました。多いときは廊下にまで布団を敷き詰め100人も泊まっていたと所有者の方から聞きます。 薮原宿の大祭「薮原祭り」では、藤屋旅館の前で上獅子・下獅子が舞い、皆が顔を赤め藤屋旅館で酒を酌み交わし、薮原宿の中で人々を楽しませてきた建物です。 このオープンスタジオの4日間で藤屋旅館で生まれた交流は昔の藤屋旅館の営みが再び呼吸し始めたように感じ、嬉しさがこみ上げる思いでした。 さっそく、藤屋旅館のお父っちゃんにも報告しなくちゃです。 旅館を閉め空き家となった藤屋旅館が様々な人の手を重ね機能し始め、また新たに人々の交流が生まれる光景に、感謝が生まれました。 藤屋レジデンス第1号で木祖村に滞在している近藤太郎さんの作品解説や、皆が持ち寄り食べたオープンランチ、人々が藤屋旅館の玄関を行き来しのんびりし、語り、笑い合う姿に、これからもこんな風に日常の中に楽しさが生まれたらよいなと思いました。 人が居て、お互いがこの土地を思いながら、大切にしていく。 人が居ることで、建物の役割が生まれ、建物が生きてくるように、この4日間で出会った人々や、出会いを繋げてくれた地域の皆様、差し入れをしてくださった隣町のスーパー鈴木のお父さん、様々な人々の思いに感謝致します。 ありがとうございました。 この先も、「旧藤屋旅館」が様々な人が重なり呼吸が続きますよう、私自身も役割を考えながら、頑張ります。

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