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執筆者の写真kisopaintings

なぜ木曽でファッション?

日本の衣料自給率2%

この異常な数値に私たちはもっと戦慄しなければならない。原材料となる綿や麻などの自給率に至ってはほぼ0%という。誰も自分たちで自分たちの着るものを作らなくなった近代日本150年の姿である。美術における画材自給率同様の現実がファッションの世界にもある。

巷に溢れる大量生産された衣服のほとんどは発展途上国の低賃金労働でつくらせてきたが、今やそれらの国々も成長をしている中で日本の経済は衰退している。気づけばどのようにして日々の衣類を手に入れてよいかわからず路頭に迷う日が訪れるのではないか。そんな未来の光景が脳裏に浮かぶ。

一方で地域で増え続ける空き家を芸術祭の会場として活用してきた私たちは、そこに残された大量の和服とも向き合ってきた。今や和服を着る機会は極端に減少し、外国人観光客が身に纏うのを目にすることの方が多いくらいである。空き家に眠る和服のほとんどは廃棄されている。

幕末のテロリストたちによる国家転覆で誕生した近代日本。明治政府は急速に西洋化を進めあっさりと伝統を捨て去った。侵略されたわけでも植民地化されたわけでもなく、自らそれを行なった珍しい国なのだ。それから150年、私たちのアイデンティティは宙吊りのままだ。


かねてから疑問に思っていたことがある。

「なぜ日本人のファッションデザイナーが多いのか」

和服ではなく西洋ファッションの世界の話だ。

今時点の私の見解を述べると、急速に自国の伝統を自ら捨て去った私たちはこの150年、着用している洋服と身体との間に常に違和感を感じてきたのではないか。さらに深刻なのが和服を着た時にさらなる違和感を覚えるという事態だ。何を着用しても確かなアイデンティティに到達することのない不安。その不安が学ランを改造したり、教科書の入らないぺちゃんこのカバンで登校したり、ルーズなソックスを履いたり、山姥になったり、腰の下でズボンを履いてパンツ丸見えにしたりと様々な奇行に私たちを走らせたのではないか。そして多くの日本人デザイナーが西洋の伝統を着崩したり脱構築したりと戦闘体制にあるのも同様の理由なのではないか。私たちは大海原を漂流しているのだ。


GR19による展覧会「土着とストリート」はかつて養蚕を営んでいた築110年の古民家を会場に行われる。昭和の初めには農家の40パーセントが蚕を飼っていたほどに、この小さな虫が近代日本の経済を支えていた。しかし世界恐慌で状況は激変する。農家は収入を失い、衰退する国力を建て直すための資源を求めて満州に傀儡国家を樹立。農民たちは移民として大陸へと渡っていった。そして戦争。

今では養蚕を営む農家はほぼ絶滅した。大桑村と名付けられた村の桑の木も伐採された。

この島国の資源の少なさは変わらないどころか、作れるものを作ることさえやめてしまった。

私たちは今どこにいて、どこに向かおうとしているのか。

その問いを共有する場として私たちは地域の人々と共にファッションショーを開催する。


GR19 岩熊力也


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