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執筆者の写真kisopaintings

移動する民 #4 志賀島・対馬リサーチの旅

信州を拠点に活動するアーティスト・コレクティブGR19は展覧会「移動する民」開催に向けてのリサーチ旅行を敢行した。


アフリカから旅立ったホモサピエンスは今日に至るまで地球の隅々を移動しつづけてきた。そのなかから様々な集団が海を渡り日本へと辿り着く。

そのルートの一つである朝鮮半島→対馬→福岡をリサーチするのが今回の旅の目的である。

またそれは信州安曇野に足跡を残す海の民・安曇族を実感するための旅でもあった。


旅のスタートは福岡の志賀島。ここに鎮座する志賀海神社は安曇氏が宮司をつとめている。私たちの目的は山誉漁猟祭を観ることだ。神功皇后が三韓出兵の途次、対馬豊浦に滞在中、志賀の海士が海山の幸で饗応したという伝説にちなむ行事、とのこと。鹿を狩り鯛を釣る所作が厳かに執り行われた。

この「山」がわからなかったのだが、次の日に対馬へと渡ることで実感を持って理解することができた。そこは四方を海に囲まれた島には違いないがゴツゴツとした岩肌を見せながら連なる山々の巨体だった。野生動物の宝庫でもあり希少在来種のツシマヤマネコも生息する。私たち信州の絶滅危惧種ライチョウ同様氷河期に日本へと渡りそのまま海水面の上昇と共に取り残された。

気候変動は様々な運命に生き物を追いやる。


そんな対馬の西岸にある和多都美神社の宮司もまた代々安曇氏が世襲して今に至る。現在の当主は第126代となる。今は安曇を名乗らず平山や山上姓だという。やはり山なのだ。海の民安曇族は山との強いつながりの中にある。

この和多都美神社だがかつて陸路は存在せず海上からのみの参拝であったという。まさに海の民の神社というランドスケープは今でも深く感じられ古の時代に連れ戻されるようだ。


そんな国境の島には様々なものが流れ着く。済州島四・三事件の後には数百もの遺体が海岸に漂着したという。壮絶だ。韓国までの最短距離は49.5km。日暮れ後には釜山の夜景を目にすることができた。ここが最初に日本を目指した移動する民たちの重要ルートであったことは容易に実感することができる。

百聞は一見にしかずである。


対馬では韓国人夫妻が経営する宿に逗留する。12年前に移住してきたという。日本語を巧みに話すご主人は歴史にも造詣が深くイデオロギーに囚われない柔軟な思考で夜毎語り合うことができた。

古から何かとすれ違う2つの地域だが、宿の主人の落ち着きと穏やかさは一つの救いであった。

古来大陸および半島は戦火の絶えることはなく様々な民族が覇権を奪い合ってきた。敗れた民は皆殺しにされるか脱出するかで選択の余地はない。日本とよばれる島々は祖国を脱出した様々な難民たちの流れ着く場所であったと思うのだ。

安曇族も活躍した白村江の戦いでは百済の民も大挙して難民として海を渡った。


対馬を発つ最後の日、宿を朝5時起きで出発し博多へ向かうフェリー港へ向かったのだがまさかの時化による欠航。道中で呑気に水平線から登る太陽のオレンジ色を全身に浴びて「海って最高だー」などと幸せいっぱいだった信州の山の民だったが一気に青ざめる。海をなめてはいけない。

急遽空港へとレンタカーを飛ばして空の民となる。「空って早くて最高だー」

そんなこんなで何とか木曽に帰りつき山の民は再び山の民となる。最後はいつも通りドタバタだ。


展覧会「移動する民」のリサーチ旅行。実りの多い時間でした。

これから各作家で作品に落とし込み、アーティストトークで成果発表の場も設けたいと思います。

展覧会は1月11日より。アーティストトークは12日を予定しています。


岩熊力也




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