木曽ペインティングスとは

「宿場町と旅人とアートの至福な関係」を旗印に

江戸と京都の中間地点である木曽の宿場町を舞台に繰り広げるアートフプロジェクトとして2017年6月に第一回の芸術祭が行われ、以後毎年開催されています。

 

また芸術祭以外にも地域の歴史や景観を守りながら、地域の資源や人材を活かしたプロジェクトを進めています。

地域の生活の中からアートを文化として育てていくことが私たちの使命です。

アートを介して宿場町が祝場町となる、そんな場づくりに努めていきます。

木曾路はすべて山の中である。それは21世紀の今日でも変わらない。人々は昔とかわらず山の襞に包まれるようにして生活を営んでいる。しかし近代の夜明けとは何だったのだろうか。本当に夜は明けたのでしょうか。

王政復古の大号令、そして欧化政策によって切り捨てられてきた伝統と土着の文化。江戸期まで庶民生活の中に芸術は根を深くおろしていたはずです。しかし切り離されてしまった。近代日本の芸術が根を下ろそうとしたのは海の向こうで、ここではなかったのかもしれません。

「Culture-カルチャー」の語源は「耕す」を意味するラテン語「colere」に由来するという。文化とは土地を耕すことからしか生まれないのです。

大政奉還から150年、『木曽ペインティングス』は失われた土地と芸術の関係を今一度問い直し、取り戻すことを願い始まります。木曽義仲旗挙げの地である日義から私たちもまた旗を挙げ歩み出すことにします。

150年目の夜明けを夢みて。

​                                    2017年6月 代表 岩熊力也

持続可能なアートのあり方とは?

この半年近くこの問いに答えるべくプロジェクトを立ちあげて取り組んできました。 少子高齢化と人口減少の流れは止まることなく、逆に野生が復活しつつあります。野生動物による農業や林業への被害は全国的に増え、有害鳥獣として駆除される数も増え続けていますが、駆除さ れた獣のほとんどは廃棄されているのが現状です。 


近代日本150年にわたる自然と人間の関係のバランスの悪さは何なのでしょうか。

野生世界と人間の至福な関係を模索しなければなりません。

 
そして、アートもまた無関係ではありません。 


伝統的な日本画材である膠ですが、現在国内での製造はほとんど行われていません。また筆に使われる獣毛もほとんどを輸入に頼っています。その他の画材もまた石油由来の原料に多くを頼っている現状です。 世界情勢が大きく動いているなかで、画家は今のままいつまでも絵を描きつづけられるわけではありません。資源に乏しいこの島国ではなおさらです。 


地域で忘れられている資源をアートで持続可能な形で循環させていく。 そんな想いで始めたのが「木曽ペインティングス」であり、そこで立ち上げた「木蘇皮プロジェ クト」です。

 
まず最初の取り組みとして廃棄されている獣皮から膠をつくりだしました。 その膠と煤を練って墨をつくりました。 獣毛から筆づくりも行いました。 やるべきことはまだまだ山ほどあるでしょう。 


「人類は何故絵を描きはじめたのか?」

この究極の問いへの答えは地域で営まれている生活の中にこそあるのではないでしょうか。

そのかすかな手応えに導かれながら今年もアートフェスティバル「木曽ペインティングス」を開催します。 

 


2018年3月 代表・岩熊力也

発酵とアート

木曽には世界に誇る発酵食品が存在します。すんきです。それは海から遠い山奥の地で塩を 一切使わずにカブを乳酸菌発酵させた漬物です。その土地の環境と生活が生み出したまさに 文化と呼ぶにふさわしいものだと思います。 発酵と腐敗は紙一重であるといいます。食材と微生物は理想的な環境で出会わなければすぐ に腐敗してしまうのです。同じ微生物でも土地が変われば条件もまた変化し味も複雑に変化 して土地固有のものとなっていきます。食材が魔法にかけられたように旨味と栄養価をとも なって生まれ変わっていく為にはその土地の特性に合わせて最良の環境を整える努力を維 持しなければならないのでしょう。

明治大正昭和平成と懸命に生きてきた近代の日本ですが、社会の中でアートの立ち位置はど こかぎこちないままに過ぎてきてしまったように思います。この国ではアートはいまだ一部 の人間のものという認識を多くの国民は持っているのではないでしょうか。 私自身も含めアーティストは海外にいくと特異な経験をします。こちらの職業を告げると相 手の態度が変わる場面に何度も出くわしますし、作品を発表したあとには敬意をもって接し てくれるのを感じることができます。国内にいるときにはあまり尊敬されるということがな いので特異な経験となってしまうのです。そんなこともあり必然的にアーティストは自分た ちの奇妙なサークル内に閉じこもるか海外を目指してしまいます。接点を欠いたままこの国 とアートの幸福とはいえない関係はいつまでも放置されたままです。

Culture カルチャーという単語はラテン語の colere(耕す、栽培する)に由来し、文化を意 味するだけではなく微生物の培養という意味があります。これは何を意味するのでしょうか。 文化とは今・この場所に存在する全てのものが共に働きかけながら心地よい関係を築き作り 上げなければ生まれないものなのではないでしょうか。そしてそれは自分たちが今何処にい て、どの様な季節を生きているのかを感じることのできるものでしょう。そして常に環境は 変化し続けるので注意を怠れば腐敗していくのでしょう。 そうした意味では近代の日本におけるアートは文化を形成し損ねたと言えるのかもしれま せん。西洋文化への盲信から自国の伝統を切り捨て、あげく妙なコンプレックスを植えつけ られてここまで来てしまいました。元号も変わり新しい朝を迎えた今、地に足をつけ文化を 築いていかなければなりません。

木曽ペインティングスも今年で3年目となりました。vol.3「夜明けの家」は中山道の宿場 町薮原宿に増えつづける空き家が舞台となります。空き家は樽で、そこに残る家族の歴史や 記憶は微生物となって漂い続けているとしましょう。アーティストは良きシェフとならなけ ればなりません。空き家という樽に人々を再び招き入れ、心地よい環境を用意して場を熟成

させなければなりません。作品もまた関係の中で意味を変化させていくでしょう。その変化 こそが文化の兆しなのだと思います。一夜にして文化は生まれません。地域に存在する多様 性を損なうことなくそこに住むすべてのものが活き活きと関係しあえる環境を維持しつづ ける努力が必要となるでしょう。 地域を発酵させるアートであること。それが私たちの目指すものです。決して腐敗させては ならない。そんな決意を胸に刻み令和の時代を歩んでいきたいと思います。

 

令和元年 5 月 岩熊力也

LIVE FOREVER

コロナ禍からの再生に向けたレッスン

地球上を覆い尽くしたウィルス感染により人類はこれまでとは別の生き方を強いられている。私 たちは常に人との距離を感じながら生活し、加害者として存在しているかもしれない自分を意識 することになった。原発事故後の放射線に続き、再び目に見えないものに私たちの身体と心はコ ントロールされつつある。 しかし今回の事態は特別なものではない。人類の歴史は感染症との戦いの歴史でもあるし、私た ちは生まれてから死ぬまで細菌と共に生きていかなければならない。私たちは細菌によって生か されてもいるのだ。 文化もまた疫病と共にある。信州木祖村の薮原神社例大祭もまた疫病の流行を鎮めるために始め られたという。人々の一体感から生まれるエネルギーの放出は今でもその起源を思い起こさせて くれる。しかし、その祭りも今年は中止となってしまった。 2017年から毎年6月に開催してきた木曽ペインティングスも延期となった。 これまで中央とは別のアートのあり方を地域コミュニティの中で模索し実践してきたが、それには 地域住民との交流が欠かせない。それが今回は困難となってしまった。 残念ながら日本ではアートは人々の生活に必要不可欠なものではない。近代以降の政策や教育が 疎かにしてしてきたのだから当然のことである。 しかし私たちは人間が生きていくためにアートは必要不可欠なものだと信じている。薮原神社例 大祭の獅子がエネルギーを放ち疫病を退散させるように、アートもまた人々の心身をしかるべき 状態に整える力を持つと信じている。

開催延期となった6月に私たちは4人のアーティストの協働制作として地域住民の出演するミュー ジックビデオを撮影した。薮原宿の商店25店舗をはじめ95人の住民に参加していただいた。出来 上がった作品を観て私は確信した、この宿場町はあと千年生き続けるだろうと。そこにはこの場 所で何百年にもわたって旅人を迎えもてなしてきた人々のDNAを存分に受け継いだポジティブな 感情が溢れていたからだ。世界に目を向けるとそこにはネガティブな感情に囚われた偽善者の群れが世界の終わりへと歩みを進めている。

私たちは次の千年に向けて歩みを進めたいと思う。古く新しい生き方で、古く新しい宿場町へ

 

令和2年7月14日 岩熊力也

​一般社団法人木曽アーツ

 

長野県木祖村薮原1067

kisopaintings@gmail.com

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