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【近藤太郎の滞在記録】文・近藤太郎

更新日:2020年5月18日

こんにちは!アーティストインレジデンス第一弾として木祖村に来た近藤太郎です。

もうこちらに来て1カ月半ほど経ちました。コロナウィルスの影響で色々と当初のプランとは変わってきましたが毎日楽しく健康的に過ごしている日々です。 簡単に自分の自己紹介をしたいと思います。僕は1995年に生まれ神奈川県の伊勢 原市という場所で育ちました。ちっさい頃から絵が好きで大学まで絵を描きました。大学4年生の時に木曽ペインティン グスを知り、第一回目の展示から参加させてもらっています。そして学校を卒業してすぐにこちらのレジデンスに参加しました。 今の生活は週3回木枠やパネルなどを作っているマルオカ工業にアルバイトに行き、残りの日々はレジデンス施設として滞在させてもらっている「藤屋」のキッチンの改装やアトリエとして使うための壁面作り、またこれから車庫をギャラ リーにするための工事も手伝うことになっています。 夜は自分の制作を行います。とにかく大きいものに絵を描くのがスリルがあって好きでB4サイズの紙を何十枚も繋ぎ合 わせてそれに絵を描いたり切ったりどんなものが出来るか分からないのが僕はとっても好きです。


他には最近の活動として木曽ペインティングス代表の岩熊力也の主導のもとにコロナウィルスによってstay homeが余儀 なくされた人類のライフスタイルを改めて考える「近藤太郎のライフス タイルを考えよう~人類総引きこもり時代のサバイバル」に出演し水耕栽培やバターミルクペイント作り、お家でダンスなどの活動も行っています。 この世間の状況が落ち着いたら木祖村に住む方達と色々話せたらなぁと思っています。よろしくお願いします。







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