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【近藤太郎の滞在記録2】文・近藤太郎

更新日:2020年5月31日

アーティストインレジデンスに来て2ヶ月ほどになりました。

アーティストが来た時に制作する為の壁づくりを4月の末から行っていたのですがそれも完成し、今は6月から始まるオープンアトリエの為にその壁を使って制作をしています。

この絵はどんな風に展示しようか?額縁を付けようか?あの部屋に置いてみるか?など想像しながらやっています。


昨日からは藤屋の車庫の解体作業が始まりました。Bee designsの山下勝彦さんの手によりあっという間に天井が無くなり「こんなに広かったんだ」と一気に開放的な空間になりました。これからは窓をはめたり、ライトを入れたり、壁を作ったりと車庫をギャラリー空間にしていきます。大きなガラスが街道に面して張られるのですが、夕方まで灯りがついて絵や作品が飾られる未来を想像するとワクワクしますね。


他にもプロジェクトが始動しました。「がんばれ木祖村プロジェクト」の第一部である「木祖村郷土ソング・プロジェクト」です。これは木祖村の商店をテーマにできたドキドキシティーボーイズの菊地風起人くんの作詞作曲による「木祖村ブルース」という曲を木祖村の商店の方や住民の方に踊ってもらうというものでその撮影が始まりました。皆さんノリが良くて考えていた振り付け以上の事をやってくれたりして驚きました。きっとこの動画に関係した人全てに新しい風が吹いた感じがしました。公開はいつになるかはわかりませんがお楽しみに〜



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